満たされた分しか愛することができない

今日は自分で自分のことを受け入れた分しか
愛することができないということについて
お話ししようと思います。



僕たちは人に愛を与えるとしても
自分が満たされた分しか
自分で自分のことを受け入れた分しか
愛を与えることができないのかなと思います。



自分で自分のことを受け入れていなかったり
満たされていなかったりすると
その欠けた部分をどうにかして埋めようと
してしまうってことが先に働いてしまいます。



それというのは相手から受け入れてもらうとか
相手から何か与えてもらうとか
満たしてもらうという行為に
繋がってしまうのかなと思います。



相手から貰おう貰おうとしてしまっている時っていうのは
与えるということはできないです。
だからまず自分で自分のことを受け入れるとか
自分で自分のことを満たすということが
できていないと人はなかなか人に対して
愛を与えることは難しいのかなと思います。



それは子育てでも大きく関係していたりとかして
自分が満たされていない母親だったとしたら
子供さんに自分を満たそうと
してしまうってことがあるのかもしれません。



自分が子供さんに対して何か接していくことで
子供さんが良い成績を取るとか
そういう周りの人から認められるような成績を収めることで
自分が満たされるような思いになったりとか
そういうことがあるのかなと思います。



そういう自分の満たされない思いを
子供さんに託すと言うか
子供さんを通して満たそうと
してしまうというものがあると



子供さんとしては自分が好きなことをするよりも
お母さんが喜ぶようなこととか
お母さんのその気持ちを察して
自分の好きなことをすることよりも
お母さんが喜ぶようなことを
優先としてしてしまうってことがあるのかなと思います。



そういう風に子育てをするにしても
お母さんが自分で自分のことを
受け入れていくってことは
とっても大切なことになるのかなと思います。
そうじゃないと子供さんに満たそうとしてしたり
とかしてしまいます。



自分がどれぐらい満たされているのかということは
自分が相手に対して与えることよりも
受け取ることの方が多いのかということが
基準になってくるとのもあります。



もし誰にも褒められないとしても
誰にも何か言われなくても
それが本当にしたいことであったとしたら
それはその人は十分に満たされているという状態で
本当にそのことをやりたいっていうことが
あるのかなと思います。



でも誰も褒めてくれないし
誰も気付いてくれないものを
何かやらなければいけない
それが凄い抵抗があってやるのが嫌
こんなことするのなんてもう耐えられない
ということがあったとしたら
それは人から満たされたいという思いが
その行為をさせてしまっているのかなと思います。



そしてその行為をたくさんするということがある人は
たくさんあればあるほど
その人っていうのは満たされない
ということがあるのかなと思います。



自分で自分のことを受け入れていないからこそ
人に受け入れてもらおうと
人に助けてもらおうとか
何か褒めてもらおうという
そういう行為をしてしまうのかなと思います。



愛を与えるというよりは
愛をもらおうとしてしまう行為が多くなってしまいます
でも自分を満たして自分が受け入れて
自分を開放した分だけ
人に何かもらおうとするということは少なくなって
逆に与えるということが多くなるのかなと思います。



今日は自分で自分のことを認めた分しか
愛を与えることができないそうじゃないと
愛を逆にもらおうとしてしまうっていうことが
あるということについてお話しさせて頂きました。



ありがとうございました。




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2020年06月22日|2020年:6月