受け身の人生から主体的な人生へ

僕たちは何も意識していないと
受け身の人生になってしまいがちです。
特に愛情ということでは
自分が愛情を与えることよりも
どうやったら受け取れるのか?
そういうことを考えて
行動していることが多いのではないかと思います。
 
 
 
僕は自分でも受け身だったなと思います。
特に苦しい時は相手の愛情を欲しがっているだけで
自分から与えることなんてできませんでした。
何か相手に役に立つことで
愛情を得ようとしていた時が多くあります。
そういう時は無理にでも
自分の有用さを証明しようとして
自分を犠牲にしてまでも
誰かに貢献することをやっていたのです。
 
 
 
それで、少しは相手から愛情をもらえますが、
自分の満足できるような量ではないので
満たされることはなかったです。 
だから、余計にもっと貢献することで
愛情を得ようとしていました。 
 
 
 
愛情を得ようと評価とか賞賛とか
飢えている状態だったように思えます。
そういう時は自分がもらおうとしてばかりで
相手に愛情を与えようとすることは
なかったように思えます。
褒められたいと思っているけど、
相手を褒めることはしなかったのです。
まさに受け身の人生ですね。
 
 
 
「奪い合えば足りぬ、分け合えば余る」
という言葉があって
これはたぶん、物資とかのことを
言っているのだと思いますが、
愛情という面でも当てはまると思います。
 
 
 
愛情もみんなが欲してばかりいて
奪い合っている状態で
みんなが褒められたい、認められたい
賞賛されたいと求めてばかりいると
愛情が不足してしまうことでしょう。
でも、みんなが褒めあって、認め合って
賞賛しあっていくことができたら
みんなが満たされる世界に行けそうですよね。
 
 
 
そうやって与えられることを待つ受け身の人生よりも
自分から与える主体的な人生になっていくと
自分も相手も満たされることでしょう。

 
 
それに関連して良い言葉があったので
のせさせていただきます。
特に後半の言葉が僕は気に入っています。
 
 
聖フランシスコの平和の祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。
 
 
 
そういう与えられるのを待つ人生よりも
じぶんから与える人生に
なっていけたらいいなと思いました。
 
 
 
 
ありがとうございます。









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2019年12月26日|2019年:12月