怒りの奥にある~しなければいけないという囚われ

今日は怒りの奥にある
~しなければいけないという
囚われということについて
お話ししようと思います。



僕たちは何か相手の行動を見て
イラッとする事っていうのは
あるのかなと思います。



なぜイラッとするのかっていうことを
考えていく上で
なんか自分の常識とか価値観から
外れた行動すること
そういう人に対して
イラッとくるのかなと思います。



例えばいつも待ち合わせで遅刻する人に対して
自分は遅刻をしてはいけないって
思っているのに
相手は平然と遅刻して
何の悪気もないっていう人がいたとしてます。



そういう人に対しては
すごくイラっとくるはずです
自分はせっかく守っているし
遅刻をしてはいけないっていう風に
思っているのに
相手は遅刻を整然として
何の悪気もないっていうことがあります。



なんでお前は遅刻ばかりするのだっていう風に
責めたくなるかもしれません。



また仕事に対しても
自分は仕事は真面目にするべきだって
思っているのに
隣の人を見るとサボってたり
遊んでたりしたしている人が
いたとしたら



そういう姿見るだけでもすごい頭にきて
お前なんで仕事しないんだとか
なんでいつもサボってばかりいるのだ
という風に怒ってしまうことでしょう。



でもそういう怒りの奥には
大抵は~しなければいけないとか
~すべきっていう
そういう自分の中の固定観念があるから
そういう怒りが出てくるってことがあります。



固定観念というのは文字通り
固定してしまっている観念ってあって
観念っていうのはこう思うことがあって
仕事する、しないってあったとしたら



私は仕事を真面目にするっていう
そういう観念を持ってる人もいるし



私は仕事を遊びながらするとか
仕事は真面目にしないっていう
観念を持ってる人がいて



それは自由な観念であって
どういう思いをものに持ってるかって
いうものがあります。



でもそれが固定してしまうと
私は仕事を真面目しなければ
いけないっていう風に
凝り固まってしまうってことがあります。



だから仕事を真面目しなければいけないって
固定観念を持ってる人にとっては
仕事をサボるっていうことに対して
すごいと抵抗を持ってしまうとことがあります。



だから自分が仕事を不真面目してるとか
してしまったとか
相手が不真面目に仕事してる姿を見ると
どうしても許せないっていう気持ちが起こって
怒りが出てくるってことが
あるのかなと思います。



そんな感じで怒りの奥には
自分の中の固定観念があるから
そういうふうに怒りが
出てくるってことがあります。



ではなぜ固定観念が出てきたのかって言うと
その裏にはちょっと傷つけられたっていう
その嫌な出来事が関係していることがあります。



自分の中でも仕事を真面目にしなくて
すごい怒られたっていうことがあったとしたら
もう二度と仕事をサボるってか
仕事を不真面目するってことはしないでおこう
絶対に自分は仕事を真面目にするのだって風に
固く決心をするってことがあります。



それは怒られるっていう心の傷が
トリガーとしてなって
自分は真面目にしようって思うことがあります。



そんな感じで何か嫌な出来事だったり
もうこんな思いはしたくないって
思えば思うほど
私は絶対に
これを気をつけてやろうっていうふうに
思うわけです。



遅刻にしても
遅刻することによって
何かすごい嫌な出来事があったから
私は二度と遅刻はしないでおこうって
心に決めたっていうことがあります。



でもそれを他の人が破ったりすると
途端に怒りが湧いてくるってわけです。



大体自分が
こうであるべきっていうことがあると
他人にもそれを押し付けてしまう
っていうことがあります。



どうしても他人が
自分の固定観念以外のことをするのを
許するって事は難しいのかなと思います。



だから自分の中で何か怒りが湧いてきたら
どんな固定観念があるのだろうっていう風に
考えるとことは
とっても大事なことなのかなと思います。



僕の中でも色んな固定観念があって
それがあるから人を見てても
イラってくることが多々あります。



僕は結構イラっときやすい方なので
そういうのは気をつけて
見ていかなければいけないなと思います。



相手を変えるのではなくて
自分の心をまず
見つめていくっていうことが必要です。



自分の中には
どんな固定観念を持っているのか



そしてその固定観念が
どういう原因で生まれたのか



どんな嫌な思いをして
その固定観念が作られたのか



ということを
見ていくようにしていて
そしてその嫌な出来事を
癒すことができたとしたら
固定観念も少しは減っていくのかなと思います。



仕事を不真面目にするっていうことがあって
それですごい怒られたとしたら
その怒られたっていうのを
癒していくことによって
仕事をちょっとは手を抜いても大丈夫って
風に思えるようになるかもしれません。



あまりにも手を拭ってことは
それはしては駄目ですけど
あんまりにも真面目すぎて
肩に力が入りすぎていっても
それは駄目なのかなと思います。



そういうのはバランスで
程よい調整をしていくってことは
必要になっていくのかなと思います。



そうじゃないと
周りの人が手を抜いてというか
適度に力を抜いてやってるのに
自分だけが我武者羅にやっていっても
空気を乱すだけだと思います。



ただそういう風な
自分の心を見つめていくことによって
なぜその怒りが生まれのか
どんな傷があるのか
どんな固定観念を持ってるのかって
ことを知っていくってことは
とっても大事なことなのかなと思いました。



自分の怒りが生まれた時
何かちょっとしたイラってした時に
自分の心を見つめていくっていうことは
とっても大事なことです。



今日は怒りの奥にある
~しなければいけないっていう囚われについて
お話させていただきました。



ありがとうございました。


 

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2021年02月11日|2021年:2月