自分を好きになるとは

 不幸な考え方から幸せな考え方へ

 どんな心の病でも共通する不幸な思考があります。

 不幸な考え方(地獄思考)
・どうせ私なんて、という自己卑下、あきらめ系
・私ばかり、私がいないとだめ、という気にしすぎ、自意識過剰系
・私ばかりひどい目に合う、という不平不満系
・どうせ私が悪いのよ、という自虐系
・私はまた見捨てられる、という怖がり系
・私は間違ってないわよ、という自己防衛
・正当化系・私すごいのよ、問題ないわよという、はりぼて系
・私の方がすごいのよ、という競争系、嫉妬系
・あの人はこんなことばかり、許せないという批判系

 幸せな考え方(天国思考)
・自分は素晴らしい、という肯定感
・みんなのおかげで、という感謝
・素晴らしい出来事、学びばかりだという謙虚
・自分が自分の行動の責任を持つ
・私は愛されている
・あなたも私も正しい、認め合う
・自分の弱さとダメなところを認める肯定
・みんな素晴らしい、応援、協力する
・他人の価値観、言動を許し認める

こういう不幸な思考から幸せな人が共通している幸せな思考へと変えていくのがカウンセリングだと言えるでしょう。

 自己否定から自己受容そして自己肯定

 自分に自信がなかったり、自分のことを好きになれない人は自己否定感が強いです。どうせ私なんてダメな人間だ!何をやってもうまくいなかい。こんな自分なんて誰も愛してくれない。心の中の声として「自分のことをダメ・ダメ・ダメ」を連発していることが多いです。

 そんなダメだしばかりしている状態で、自分に自信を持てたり自分のことを好きになることなんてできませんよね。そういう時は段階があります。

 まずはダメだと思っている自分のことを癒す。たぶん自分をダメだしするようになったのは、誰かからダメだしされてきたからだと思います。それが親や先生など信頼する人からだったら、ひどく傷ついていることでしょう。その傷を癒していきます。癒しについては誰かに聞いてもらう、分かったもらうことが一番で、話すことの効果をご覧ください。

 それから、許しの作業に入ります。ひどいことを言った親や先生、そして今までダメ出ししてきた自分を許します。許すことで過去のつらかった嫌な出来事から解放されます。詳しくは下の記事をお読み下さい。

 そうしてそんなダメだと思っていた自分を受け入れる自己受容へと入ることができます。できない自分であっても、人に迷惑をかけてしまうことがあっても、弱い自分であっても、今までダメだと否定してきた自分を受け入れるのです。
「ダメ」が「まあ良いかな」に変わったら受け入れたことになります。

 「ダメ」が「良い」に変わっていけばいくほど、自分のことを否定しなくなり、自分を受け入れて、だんだんと自分を好きになって自信が持てる自己肯定感に変わってくるのです。

 自分を大切にする

 自分よりも他者貢献という生き方ができることって素晴らしいですよね。でも、これは自分を大切にできるようになって、はじめてできることなのだと思います。

 他者に貢献することによって自分の大切さに気付くということもありますが、他者に貢献することによって、自分の問題から目をそらすということもあります。だから、判断が難しいところだと思います。

 よく宗教などで他人のためにつくしましょうと言って、いろんなところにボランティアに行くことがありますが、家に帰ってみたら家族はめちゃくちゃだということもあります。

 本当に人のためになることというのは、まずは自分が幸せになることなのかもしれませんね。自分が満たされて、自分のことを大切にできる人が、他人のことを満たしてあげられて、他人のことを大切にできるのでしょう。

 自分が満たされていないのに、人に貢献しようとすると、相手のためにやってあげている、こんなに尽くしているのだからお返しに何かをもらわないと気が済まない。という風になってしまいます。どこかおかしいですよね。
 
 まずは自分優先に考えてもいいのだと思います。自分のことを好きになって、自分に正直になり、自分のことを大切な存在だと認めることができて、あふれた愛情を人に分け与えることができるようになります。

 許しとはつらい過去からの解放

 僕たちは、何か許せないと思っているときは、傷つけられたことをずっと抱えながら生きていかなければいけません。それは、とっても苦しく、悲しいものですよね。そして、その傷があるから前に進めないでいる状態が続くのかもしれません。

 そんな苦しみから早く解放され、前に進んでいけば、もっと幸せにな道が待っています。許せないものを許して、心を自由にしていけるといいですね。許しは最高の癒しですからね。

 これらはすべて許しの効果です。

・裁こうとする思いを手放したとき、笑いと幸せがやってくる。

・ゆるしは、悲しみあるところに歓びを、争いあるところに平和を、怒りのあるところに喜びをもたらします。さらに、本当の自分を取り戻させてくれます。

・ゆるしは自分も他人も癒します。

・他人をゆるせないとき、それはいままで目を背けてきたあなた自身を見ているときかもしれない。

・裁くのをやめる。それだけで、幸せになれる。

・ゆるせば、つらい過去から自由になれる。

・ゆるせば、思うぞんぶんに愛することができる。

・ゆるすとは、一度や二度ではなくゆるしつづけること。

・ゆるしには、早すぎることも遅すぎることもない。

 許し以上の癒しはないと思います。
自分が許せない。他人が許せない。親が許せない。
そんな許せないことが許せるようになったとき、奇跡が起こったりするのでしょうね。

 不器用な人間でもいいんじゃない

 人間である以上は完璧なんて不可能ですよね。欠点のない人なんていないですよね。問題を抱えていない人なんていないと思います。

 それを、何も欠点がないふりをしたり、問題がないふりをしたり、いかにもできる人間を演じていても、本来の自分ではないので疲れますし、ずっと自分に嘘をつき続けることになります。

 自分に嘘をつき続けて自信がつくということはまずないですね。どんなに演じている自分を評価されても、それは本当の自分ではないと知っていますから、どこかでメッキが剥がれないか、誰かにダメな自分を見抜かれないかと常に不安になるわけです。そうなるとさらにメッキを厚くする努力をしないといけなくなります。

 そんな偽りの自分を演じるのをやめて、ダメな自分、問題のある自分を出してしまった方が楽になります。ありのままの自分を出しても受け入れられるという経験が自信をつけることにつながります。完璧そうに見える人間よりも、不器用でもいいから素直に自分を表現できる人間臭さがある方が良いですよね。

 もちろん、すべてをさらけ出すには、ものすごく勇気がいりますからすぐに飾りを外すことはできませんよね。少しずつ勇気を出して、隠している醜い部分をさらけ出して、身に着けた飾りを外していけたらいいですね。

 2種類の自信

 自信には2種類あると言われています。
根拠のある自信と根拠のない自信です。

 根拠のある自信とは、経験や知識を積み重ねていくことによって評価されたり、できないことができるようになったりして得られる自信です。頑張って何かを積み重ねていくことによってどんどんと自信がついてきます。

 でも、この考えは土台がしっかりしていないところに家を建てようとするものです。だから、土台が揺るげば、積み重ねているたくさんも努力も一緒に崩れ去ってしまう危険があります。だって自分で自分のことを認めることができないから、他人の評価で自分を認めることということをやっているのです。

 一流と言われるスポーツ選手でも、今まですごく順調にいっていたとしても、どんなに良い成績を収めていても、数回、ダメな結果が出ると、たちまち何をしてもダメなんだとスランプに陥ることがあるようです。

 土台には自分を信じることができていないからですね。だから、頑張って頑張って何か根拠となる成果を求めてしまうのでしょうね。それが自信につながると信じて!でも、ちょっとしたことで、すぐに不安になってしまいます。

 根拠のある自信の奥には本来、自分は素晴らしい存在ではないという思いがあり、だから、人に貢献できるように、人に必要とされるように、頑張って何かを付け加えようともがいている苦しい状態です。



 次に根拠のない自信とは、自分がなにかできるわけでもなく、何か知っているわけでもなく、何もなくても、なぜだか自信があるという状態です。

 根拠のない自信何もしなくても、何もできなくても、ただ存在しているだけで、自分は素晴らしい存在だと思えることです。この根拠のない自信の根底には、自分のことが素晴らしいという思いがあるので、できなくても良いし、できても良い。何かを知らなくても良いし、知っていても良い。人に迷惑をかけても良いし、かけていなくても良い。どんな状態にいてもOKを出すことができるのでしょうね

 根底に自分のことが素晴らしい存在かどうかというのはとっても大切なものです。それは頑張るのをやめることでしか見つけられないものだと思います。

 頑張るのをやめるということは、自信のない自分をさらけ出すということです。もしかしたら、否定されるかも知れない、誰かに必要とされなくなるかも知れない、嫌われるかも知れない、という感情と向き合うことになるでしょう。でも、一度さらけ出すことによってしか、本当の自分は素晴らしいのだと思えることはできないでしょう。何かを頑張って積み重ねているうちは本当の自分が出てきませんからね。

 もう根拠のある自信をつける努力はやめて、一度、自分の根底にある感情と向き合ってみませんか?あなたは何をしなくても、何もできなくても、とっても素晴らしい存在なのですからね。

 子供のような無邪気さを取り戻す

 僕の最終地点としては、子供のような感じで誰にも遠慮しないで、誰の目線も気にしないで、自分のやりたいことを自由にやって、自分の感情に正直に怒って、腹立って、泣いて、悲しんで、そして笑って、喜んで、楽しむ。そんな無邪気さを取り戻すことなのだと思います。

 今までは、そんな自分の感情を自由に出すと怒られてきたから、嫌われてきたから、恥をかいてきたから、バカにされれきたから抑え込んでしまいます。

 とくに親は世間体や人の目を気にして、子供心を出すことを禁止しました。だから僕も子供の心を出すのを封印してきました。それで必死に良い大人を演じていくようになっていました。誰からも嫌われないようにするために、世間から白い目で見られないために、自分の感情を押し殺していました。

 そうすることで誰からも嫌われなくなると思っていたのです。でも、理想の大人になんてなれないですし、なれない自分を責めて自己嫌悪に陥ったり、常識がない人(子供のような人)を見ると心の中で責めていました。自分がやってはいけないと思っていることを、目の前でやっていることに腹が立って仕方なかったのです。

 その良い大人になることが幸せだと思っていましたが、あまりにも苦しくなるのです。そして、いろいろと学んでいくうちに、本当の幸せは、理想の大人になることでなくて、本来の自分として生きることだということを気づかせていただきました。

 本来の自分から離れた生き方をしていると、自分に嘘をつき続けることで偽りの自分を演じなければいけません。これって、すごく疲れますよね。

 だから、子供のような無邪気に生きることが、自分に正直で生きることになって幸せもそこにあるのかもしれませんね。

 新しい自分になるのが完治である

 風邪をひいたりしたら、どうやったら風邪をひく前の元気な姿に戻ろうかということを考えます。ここでいうところの完治とは、病気になる前の元気な姿に戻ることですよね。

 でも、依存症やうつ病などの心の病は、また違ってきます。病気になる前のもとの状態になることが完治とは言えないのです。病気になる前の状態に戻っても、元が変わっていなければ、同じ症状を発症させてしまう確率が高いのです。

 だから、病気になる前の状態に戻ろうとするのではなく、まったく別の新しい自分になることを目指していくことが必要です。もしかしたら、病気はメッセージで、このままの状態だったら、もっと大変なことになるから、それに早く気付いてほしいから起こっているものでもあるからです。

 新しい自分になるというのは、今までやりたくてもできないでいたことをやってみるとか、今までやりたくないことをしていたけど、それをやめてみるとか、こんなことを言ったら嫌われそうと思うことを言うことなど、今とは違ったことをしてみることでしょうね。今と同じことをしていては、何も変化がありませんからね。

 そして、一番見たくなかった心の奥にある本音に気づくこと、自分に向き合うことなしに、新しい自分にはなれないのかもしれません。自分と向き合うこと、それはとっても苦しいものかもしれません。でも、その先には輝かしい未来が待っているはずです。

 心の病は、こうやって、このままでは間違った方向へ進んで大変なことになってしまいますよ、というメッセージなのでしょうね。だから、そのメッセージを受け取るまでは、何度も出てくるのかもしれませんね。
病気になる前の状態に戻ろうとするのではなく、その道はあきらめて、新しい生き方を模索する必要があるのでしょう。

 早くその苦しみから解放されて、自由な大空へ羽ばたけること祈っています。

 

 このようなカウンセリングを行うに当たって、私が心がけていることがいろいろとあります。当社の理念で詳しく書いていますので、ご覧ください。

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