人は余裕がない時に周りの人を傷付ける

今日は人は余裕がない時に
周りの人を傷付けるということについて
お話ししようと思います。



僕たちはなぜ人を傷つけてしまうのか?
どういう時に傷つけてしまうのかというのを
よく考えてみる必要があるのかなと思います。



人を傷つけている人っていうのは
もしかしたら自分では悪いことを
しているっていう意識は
少ないのかもしれません。



ある人にとっては傷つけてやろうっていう
そういう意志は全くないのに
でも意図しないところで
相手を傷付けてしまうっていうことに
繋がってしまうっていう人もいるのかもしれません。



そんな感じで人を傷つけてしまう人っていうのは
罪悪感とかそういうのは
あまり感じることが少ないのかなと思います。



ではなぜ人を傷つけてしまうのか
たぶん多くの人は傷つけるよりも
仲良くするのが一番だっていう風に
思ってると思います。



でもそれができないっていうのは
その人の中で大切なものを守るために
それが奪われそうになった時に
傷つけてしまうってことが
あるのかなって思ってます。



そういうふうに考えていくと
誰かを攻撃してやろうっていうよりは
自分のことを守ろうっていう
そういう懸命に自分のことを守っている時に



意図しないところで
相手を傷付けてしまうってことが
起こっているのかなって思ってます。



では何を守っているのかって言うと
それは自分のお金が奪われそうになった時とか
自分の時間だったり自分の労力だったり
ある人にとっては自分のプライドが
奪われそうになった時とか



世間体や立場などが危うくなった時とか
ある人にとっては自分の常識とかルールとか
そういうのを破られそうになった時とか
そういう時に攻撃的に
なってしまうのかなって思います。



僕たち人間っていうのは減ることとか
奪われることっていうのに
ものすごく強い痛みを覚えてしまいます。



だから減らないようにとか
奪われないようにっていう風に
必死に抵抗してしまいます。



そういう抵抗する行為っていうのが
相手に攻撃するっていう風に
繋がってしまうのかなって思います。



それは正当防衛だから
相手に何してもOKだっていう
そういうちょっとした正義感に
繋がってしまうのかなって思います。



極端な話ですけど
銀行強盗とかそういうことになりかねない時は
その犯人に対しては
どんなことをしても良いっていう風に
思ってしまうのと一緒で



自分の大切なものを
奪われそうになった時っていうのは
奪う人に対しては何をしても
それは正義として繋がってしまうっていう風に
考えることもあるのかなって思います。



そしてそういう悪役っていうか
悪いことをした人に対して
相手がどんな思いなのか
どんなことを感じているのか
どんな痛みなのかっていうのを
考えることっていうのは
少ないのかなって思います。



だからこそ悪役に対しては
ひどいことをしてしまうのかなって思います。



それは映画見てても一緒で
映画の中の悪役っていうのは
どんな酷い殺され方をしていても
見ている方としては
悪役が倒されてスッキリっていう風に
感じてしまうのかなって思います。



そんな感じで自分自身を守ってる時っていうのは
自分の心に余裕がないため
相手のことを思いやるっていうことが
なかなかできないでいます。



でも人って安心感がある時っていうのは
心にも余裕があるので
相手のことを思いやるっていうことができるのです。



その安心感を手に入れるためにも
守ることに必死な時に
思い切って守ることをやめてみる
思い切って手放してみるっていうことは
とっても大事なことなのかなって思います。



手放すっていうのは
大切なものが損することであったり
減ることだったり
もしかしたら奪われてしまうことだったり
そういうのを諦めたり
認めていくってことに繋がります。



今までは必死に損しないようにとか
減らないようにとか
きゅっと握りしめていたかもしれませんけど
そういうのを手放す
握るのを止めていくっていうことです。



そうやって手放してみる
手放してみても案外減るってことは
少ないってことに気づくでしょう。



それは大きな気付きなのかなって思います。



今までは減らないようにって
必死に抵抗してきたけど
でもその抵抗をやめた時にそんなに減らないし



もしかしたら増えるってこともあるのかなっていう
本当逆転の発想かもしれませんけど
凄くそれは大きな気付きなのです。



そうやって抵抗する必要がなくなって
力が抜けていくと
すごく楽に生きていけるようになります。



そうやって楽に生きていけるようになると
力が入ることなく
本来の自分でいられるように
なるのかなって思います。



だから怒ってばかりの人を
攻撃ばかりしている人を見て
そういう人っていうのは
ああ、今危機的状態にいるのかな
必死に自分を守っているのかなっていう



そういう冷静な目で見ることによって
また違う見方ができるように
なるのかなって思います。



ここで少し昔の僕の話を
させていただこうかなって思います。



昔の僕も常に自分を守るためにすごく必死でした
全然心に余裕なんてなかったのです。



そんな状態だから
相手の感情にはものすごい鈍感でした。



相手が今どんなことを考えているのか
こういうことをすると
相手はどういう気持ちなのかっていう風に
考えることっていうのはすごく少なかったです。



それは自分に全然自信がなくて
自分の立場が常にどういう状態なのか
というのを気にしてばかりいたからです。



人の目線を凄く気にしていました。



そういう状態だからこそ
プライドもものすごく高かったです。



そんな僕だから本当は仲良くしたいのに
いろんな人と一緒に何かしていきたいのに



でも自分の変なプライドで
自分を守るために必死だから
意図しないところで
相手を傷つけてしまったりしました。



でも色んな本を読んだり
色んな体験をすることで
ある日気づいたのです。



なぜ自分に余裕がないのかって言うと
それは自分を守ってばかりいたからです。



自分を守るっていう行為が
自分のことばっかり考えるっていうふうに
繋がっていたのです。



そこである日自分を守るのをやめてみました。



そうすることで状況が一変したのです。



自分を守るっていうことをやめて
何か奪われまいと思って
必死に抵抗していたのをやめてみると
今まで敵だと思っていた人が
味方であったり



相手を攻撃せずにはいられなかったことが
そんなに攻撃をしようとすることは
少なくなったのです。



もう必死になる必要はなかったのです。



でも自分を守るのをやめるっていうのは
すごく怖いことでとっても勇気がいりました。



今までやったことないことをやるっていうのは
ものすごいチャレンジなのです。



何か大切なものが奪われるのではないのか
自分の立場とかそういうのが
危うくなるのではないのかっていう風に
ビクビクしていました。



でも、やった結果
何も奪われることはないし
何も失うことがないのです。



そういう風に守るのをやめることによって
余計な力が抜けていくっていうことがありました。



そうやって必死にならないから
自分を守る必要がないから
心にも余裕ができて



そうやって心に余裕ができた時に
初めて相手を思いやるっていうことが
できるようになったのです。



相手の感情にも寄り添うことができて
親切なことができるようになってきたのです。



まとめとして人を傷つけてしまう人っていうのは
自分を必死に守っている状態です。



そんな状態だからこそ
自分の心に余裕がないから
相手に対して相手がどんな思いをしているのか
相手がどんなことを感じているのか



こんなことをすると
相手はどう思うのかっていうのを
感じる力っていうのが全然ないのです。



そしてそういう時に意図しないところで
相手を傷付けてしまうってことが
起こるのかなって思います。



相手を傷つけるっていうのは
自分の心に余裕がないから
起こってしまうことなのかなって思います。



本当はそういう攻撃的な人であったとしても
相手を傷つけたくないっては思っているでしょう。



本当は仲良くなりたいのです。



でもそういう大切なものを
奪われそうになった時っていうのは
自分でも相手を攻撃するっていうことが
やめられないでいるのかなって思います。



そういう何かを失いたくないっていう思いを
思い切って失ってもいいって
手放すことができた時に
初めて大きな転換ができて
心に余裕が生まれて
安心感も生まれるのかなって思います。



そういう抵抗することをやめるっていうのは
ものすごい難しいことですけど
でもそれができた時に
世界が変わっていくのかなって思いました。



今日は人は心に余裕がない時に
周りの人を傷つけてしまうということについて
お話しさせていただきました。



ありがとうございました。




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2022年01月24日|2022:1月