人間の最も大きな不安 見捨てられること

今日は人間の最も大きな不安として
見捨てられてしまうんではないのかっていう
そういう不安があるっていうことについて
お話ししようと思います。



誰しもが不安というのを
どこかで感じているものでは
ないのかなって思います。



お金の不安だったり
人間関係の不安だったり
就職とか職業の不安だったり
学業の不安だったり
健康の不安だったり
いろんな不安があると思いますけど



でもその不安の中で
最も大きな不安として
見捨てられてしまうのではないのかっていう
そういう不安があるのでは
ないのかなって思ってます。



だから僕達は見捨てられないように
必要とされるようにっていうので
どんなことでもしてしまうのでは
ないのかなって思います。



よく言われることですけど
人間っていうのは一人では生きていけずに
社会的な生き物だって言われています。



どこかに所属していないと
自分の存在価値っていうのを
知ることができません。



そういう意味でも
自分の生きる意味っていうのは
組織の中にいてどのような役割を持つか
そういうことで感じられるものでは
ないのかなって思います。



だからそういう所属する場所から
排除されるっていうことは
自分の価値がないっていう風に
レッテルを貼られてしまうようなことだと思います。



そういう誰からも必要とされないっていうのは
く大きな苦しみではないのかなと思います。



人間でも物でも必要とされなくなってしまう
というのは耐えられない苦しみのはずです。



誰しもがどんなものでも
役に立ちたいっていう風に
思っているのではないのでしょうか。



例えばコップであったとしても
作られたからには
コップとして役割を全うしたいって
思っているはずです。



使われずに捨てられてしまうとしたら
コップとしても
生まれてきた価値がないということで
とっても悲しんでいるはずです。



それは人間も一緒で
やはり生まれたからには
人間として生きていきたいし
誰かに必要とされたいっていうことは
強く望むことでしょう。



逆に誰にも役に立ってないし
排除されてしまうとしたら
何のために生まれてきたのかっていうのが
分からなくなってしまうはずです。



自分の存在価値が見出せないからです。



だから会社であったとしても
見捨てられないように
必要とされるように
頑張り続けてしまうっていうことが
あるのかなと思います。



そしてその頑張りは
時には自分を壊してしまってまでも
無理をし続けてしまうっていうことがあって
それは強迫的なものに
なっているのかなと思います。



ただその見捨てられる不安ですけど
大きい小さいっていうのが
人によってあるのかなと思います。



見捨てられ不安が大きい人と
逆に小さい人っていうのがいるのです。



その違いは何なのでしょうか
それを考えてみるのは
とても重要なことだと思います。



まずは見捨てられ不安が小さい人
不安が小さい人ですね。



そういう人は小さい頃から親や周りの人から
無条件に近いような状態で
愛されていたのではないのかなと思います。



無条件の愛ですから
ちょっとぐらい失敗したとしても
ちょっとぐらい親に刃向かったとしても
駄目な自分でいたとしても
見捨てられないっていう
そういう安心感の中で
育ってきたのかなと思います。



そういう人っていうのは
思いっきり自分を発揮できるのかなと思います。



人目を気にせずに
自分のやりたいことをすることができますし
嫌なことだったら
遠慮なく断るってことも
できるのかなと思います。



それは自分の中で
こういうことしても見捨てられないのだっていう
そういう安心感があるから
自分の自由なことができるのかなと思います。



でも見捨てられ不安が大きい人っていうのは
小さい頃から親が厳しかったとか
そういうので自分勝手なことをするとか
人に迷惑をかけるとか
そういうのが許されなかった環境で
育ったのかなと思います。



そういう自分勝手なことをしようとすると
怒られたり
家から出されたりとか
そういう見捨てられ体験をして
嫌な思いとして
心に残っているということが
あるのかなと思います。



子供っていうのは
親から見捨てられるっていうことは
=死を意味してしまいます。



親なしでは生きていけないってことがあるからです。



だから親から見捨てられないように
どんな理不尽だと思ったとしても
逆らうことっていうのはなかなかできません。



じっと我慢して
親の言うことを聞くっていうことを
するしかなくなってしまうのかなと思います。



親もそれを知っていて
子供を自分の思い通りに
操ろうとするっていうことが
あるのかなと思います。



そしてそれは時には子どものためと思って
やっていることもあるかもしれません。



でもそれは大体は親の自分の都合の為
という場合が多いのです。



そういう人が社会に出たとしたら
子供の頃のそういう体験が残っているので
自分勝手なことをするっていうのは
見捨てられるのではないのかっていうのが
すごく不安になってしまいます。



特にうつ病を発症する人なんかは
見捨てられ不安っていうのが強い人です。



そういう人は必要とされるように
見捨てられないようにっていうので
頑張り続けてしまうっていうことが
あるのかなと思います。



そしてその頑張る度合いにしても
自分の体が限界に来ているのに
それでも頑張り続けてしまって



そしてある日、体がエネルギー切れを起こして
活動をストップするっていう
そういうところまで頑張り続けてしまう
ということがあるのかなと思います。



普通の人はそこまではできません。



でも不安が大きい人っていうのは
自分の限度を超えてまでも
頑張り続けるってことをやってしまうのです。



そういう人たちには
あなたはここにいてもいい・必要な存在だ
そういうメッセージを送ることによって
安心感が生まれるのかなと思います。



どんなあなたであったとしても
失敗しようが自分を多少主張したとしても
仕事が遅くなったとしても
そういうマイナス要素があったとしても



あなたは大切な存在で
価値があるっていう風に
そういうメッセージを送っていくことによって
そういう人の心の不安というのが
少し薄れていくのかなと思います。



そして駄目な自分だったとしても
失敗しても自己主張しても
そんな自分だったとしても
見捨てられないのだって
そういう風に思うことができたとしたら
今よりももっと楽に生きていけるように
なるのかなと思います。



そして僕自身として
そういうメッセージを伝えられる人に
なりたいなと思います。



不安になってる人に
安心感を与えられる
そういう人を目指していっています。



なぜなら僕自身も
見捨てられ不安が大きい人でした。



見捨てられないように
常に周りに気を張って
頑張ろうとしていたような



それは家庭環境っていうのが大きくて
親から理不尽なことで叱られたりして
家族の一員だっていう風に感じることって
僕は少なかったです。



橋の下に捨てられて
拾われた子だっていう風に
本気で信じていた時もありました。



それぐらい家族の一員だっていう
そういう意識が薄かったです。



そういうので親の顔色をうかがいながら
ずっとびくびくして
生きてきたような思いがあります。



そういう僕ですから
会社に出たとしても
自分の欠点とか
弱さっていうのを見せられずに
見捨てられないように必要とされるように
必要以上に頑張り続けてしまった
ということがありました。



でもそんな頑張りが報われるどころか
逆に否定されたり
一番怖い見捨てられるっていう
そいういのに繋がっていたように思います。



でもある時から頑張らなくても
完璧でなくても良いし
そんなに自分は有能な人間だっていう風に
アピールしなくてもいいのかなというのに気付いて



弱い自分だったとしても
失敗する自分だったとしても
見捨てられないっていうのを知って
力が抜けたっていうのがあります。



だからあなたも必要以上に頑張らなくても
ミスが多くても自己主張しても
見捨てられないですっていうのを
伝えていきたいなって思います。



今日は人間の最も大きな不安として
見捨てられることについて
お話しさせていただきました。



ありがとうございました。





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2022年02月21日|2022:2月