正義の道は地獄に通じる

今日は正義の道は地獄に通じる
ということについてお話ししようと思います。



こういう題名を聞くと逆なのではないのか?
正義は最後に勝つっていうふうに
感じられる人もいるかもしれません。



確かに最後に正義は勝つっていう
そういうのが僕たちは大好きです。



悪いことしてる人は最後は必ず滅びる
そして正義は最後に勝つのだというふうに
思いたい人もたくさんいるかもしれません。



僕だってそうです。



だから僕たちっていうのは
ドラマにしても映画にしても
勧善懲悪的なそういうストーリーが大好きなのです。



悪いことしてる人は最後には滅ぼされる
そして正義のヒーローが勝つのだっていうふうに
そういう典型的なストーリーが大好きなのです。



でも正義を語ろうとしていくっていうのは
色んな弊害があるっていうことも
注意しておかなければいけません。



僕たちが正義っていうのを語ろうとすると
そこには絶対に善と悪っていうのが
できてしまいます。



これは正義だ
これは悪だっていうふうに
区分分けがされてしまうのです。



そして悪は成敗されなければいけない
という風になってしまうでしょう。



そういう考えはある程度は必要なことでしょう。



悪いことをしてる人がいたら
それはやめさせなければいけないので
警察官などは必要な存在でもあります。



でもその正義感、正義が強すぎると
色んな弊害を生んでしまうということです。



そういうのをこれからじっくりと
説明していけたらいいのかなと思います。



僕が考える正義感が強すぎる弊害っていうのは
三つあると思います。



これはあくまでも正義感が強過ぎる
という場合の弊害です。



強すぎない正義感というのは必要であって
悪い人がいたらやはり公正させなければいけない
というのはあるのでしょう。



その三つの正義感の弊害として
まず第一が自分の正義感を
押し付けてしまうということです。



そして第二番目は悪者は徹底的に
排除しなければいけないって
思ってしまうところです。



そして第三番目には
正義のヒーローとしてなってしまう人は
自己陶酔しやすいっていうことであります。



これを今から詳しく
説明させていただこうかなって思います。



まず自分の正義の押し付けっていうことですけど
単純に誰にとってもこれは悪だって



映画でも悪役がいて見るからに
心も悪に染まって悪いことをするっていう
そういう単純な悪だったら
わかりやすいかもしれません。



でも大抵は悪っていうのがハッキリしない場合が
多いのかもしれません。



自分の正義感っていうのは立場によって
変わってしまうってこともあるからです。



自分の立場だったら正義であったとしても
また違う立場から見ると
全く違うっていう風にも捉えられてしまう
ってことがあるのです。



そういう意味でも絶対的なこれは正義だ
これは悪だっていうものは
区別するっていうのは
難しいのかもしれません。



でも正義感が強すぎると
絶対的な正義感
絶対的な悪だっていうのを決めつけて
かかってしまうっていうことがあるのです。



そういう自分の正義感っていうのを
人に押し付けてしまうっていう
そういう危険性もあるのです。



そうなると当然見方が違うと
その正義感は当てはまらなくなるので
争いの種になってしまうということもあります。



例えば夫である自分は
仕事で頑張るのが当たり前
妻だったら家事をして当たり前っていう
そういう考え方それが正義だって思っている人が
いるかもしれません。



そうなるとちょっと家事ができない妻っていうのは
悪に見えてくるでしょう。



なぜ俺はこんなに外で仕事して頑張っているのに
お前はちょっとした家事もできずに
怠けてるんだっていう風に
責めたくなってしまうかもしれません。



でも立場が違えば奥さんとしては家族なら
家のことを手伝って当たり前っていう風に
思っているかもしれません。



でも旦那さんは自分は働くだけで
家に帰って偉そうに指図するだけ
それが許せないっていう風に
思っているかもしれません。



奥さんにとっては
家で家事をしない旦那さんが
悪に見えてくるのです。



そうやって旦那さんから見た悪と
奥さんから見た悪っていうのは
全く違います。



それを自分を通そうとすると
当然争いが生まれてくるというわけです。



こんな感じで善悪っていうのは
立場によって変わってくるっていう場合もあるので



そんなに簡単にハッキリと
これは善だ、これは悪だって
決めつけることっていうのは
難しい場合が多いのです。



立場の分だけ違いがあって
お互いに言い分はあるのです。



だから自分の善を押し付けて
悪を排除しようとするのではなくて
バランスを取っていくってことが
大事になってくるでしょう。



次に悪者は徹底的に排除っていうことですけど
悪者っていうのは



組織にとって都合が悪い人だったり
何か理不尽なことをしようとしている人
自分さえ良ければいいって思ってる人だったり



そういう悪いことをしようとしている人に対して
何をしても許されるっていう風な空気が
僕たちの中にあるのかなって思います。



映画でも悪者に対しては
どんなひどいことをしてしまっても
違和感なく僕たちの心は
スッキリするっていうことがあるでしょう。



でも問題は排除するっていうことは
いろんな弊害があるっていうことです。



例えばいじめ問題っていうのは
もしかしたらクラスの輪を生み出そうとする
そういう人に対して悪者だって決めつけ
みんながそういう人に暴力的になってしまって
一人の人をいじめてしまうってことに
なってしまうのかもしれません。



そしてそれが許されてしまうっていう風に
なってくるかもしれません。



これは学校のイジメだけではなくて
会社でのいじめも
そういう風な構造になっている
という風に言われています。



会社の中で一人役に立たない人がいると
みんなでその人をいじめて
排除しようとしてしまう働きがあるっていう
そういう大人のいじめも
今問題になっているっていうことがあります。



そして最後に自己陶酔しやすい
ということですけど
悪を懲らしめているっていうことをするっていうのは
みんなにとって良い事につながっているはずです。



そういうみんなにとって良いことに
繋がるっていうのが
正義のヒーローとして自己陶酔しやすい
原因にもなってしまうのかなって思います。



普段は気弱な人であったとしても
でも変身することによって
強くなった気がするっていう
そういう気弱な主人公っていうのが
よく映画で出てくるかもしれません。



そしてそういう自分に酔っている人
強くなった気がする人っていうのは
自分の限度を超えて暴走する
ということがよくあるのです。



普段しないようなことをしてしまうので
より過激になってしまうってこともあるのです。



凶悪犯罪を犯す人なんかも
自分なりの正義を実行しようとして
普段しないような
凶悪なことをしてしまうってこともあるようです。



そういう風に自分に酔っている状態っていうのは
暴走しやすいっていう意味でも
とっても危ないことなのです。



そういう人は弱さを抱えている分だけ
強さに憧れてしまうっていうことがあるので
勘違いっていうのが
生まれてしまうのかなって思います。



弱い自分が正義のヒーローになることで
人に役に立っているし
強くなった気になる
それで自分の弱さっていうのを
見ないようにしている
ということもあるのかもしれません。



そういう自分に酔いやすいっていうのも
正義のヒーローとして
危ないところなのかなって思いました。



このように正義っていうのは
危険性をはらんでいるってこともあります。



自分なりの正義を押し付けたり
悪だと決めつけたものは徹底排除して
どんなひどいことをしても許されるようになったり
弱い自分が強い自分になったかのように思えて
暴走してしまったりっていう風に
危険性があるのです。



だから正義の道っていうのは行き過ぎてしまうと
争いしか生まれないっていうのがあるのです。



そういう意味で正義の道は地獄に通じるっていう
そういう言葉もあるっていうことです。



そんな感じで行き過ぎた正義っていうのは
危険なのだっていうことを
説明させていただきました。



ありがとうございました。





メルマガ登録することで過去の記事を3日に1回のペースで、順番に登録していただいたメールにお送りいたします。もし不要だと思われたらいつでも解約することができます。イベント情報などもお送りしていますので、メルマガ登録お願いします。

こころのそよ風メルマガ
お名前(姓)
メールアドレス(必須)
Powered by メール配信システム オレンジメール
2022年07月18日|2022:7月